修士課程の「セオリーベース」って何?
イギリスの大学院の専攻を選ぶとき、
「セオリーベースって何?」って思う人は、
少なからずいると思います。
私は紛れもなくその中の一人で、
ま、なんか文献たくさん読むんでしょ、
とざっくり解釈してたのですが、
コースが始まって、ようやくその意味がわかりました。
セオリーと言うと、
なんだか相対性理論とか、バタフライ効果とか、
(私は)そういう実践的で具体的なものを思い浮かべるのですが、
そういう方法論や科学的法則だけではなく、
人文学系のアカデミックの世界では、哲学者が考えた理論や学説のことを指します。
(当たり前なのかな、これ…。でも、私は知らなかった!)
具体的には、ミシェル・フーコーの「ディスコース」やら
フェルディナン・ド・ソシュールの「シニフィアン」「シニフィエ」みたいな概念です。
こういうセオリーを使って個別具体的な事例を分析する、
というのが、この国のセオリーベースな人文学系の学問のやり方みたいです。
いやー、フーコーとか、ボードリヤールとか、メルロ・ポンティとか、
哲学科の人がやるやつだと思ってた。
それだけで研究対象になりうるというか、
道具みたいに「使う」もんだって知らなかった。
ただ、学問の仕方がちゃんと確立されている、という点では、
留学生にとっては、ありがたい。
とにかく、セオリーをアプライするんだろ!と。
日本みたいに明文化されてなかったら、やりづらいだろうなあと。
っていうか、日本で学士課程をやってたときも
(こちらでいうころのセオリーベースな)文学部だったのですが、
私が学部時代に卒論を書いたときは「セオリー(理論・学説)」よりも、
「先行研究」という言葉をよく聞いたし、使ってました。
先行研究を参考にしながら、事象を分析していく、という感じ。
結局やっていることは、大きくは変わらないのだけど、
「セオリー」と「先行研究」ってやっぱり受ける印象が全然ちがう。
「アプライ」と「参考」も全然ちがう。
脱線しましたが、
とにかくこのセオリーベースってやつが、
同じマーケティングをやるにも、
ビジネススクールとの大きな違いだと思います。
きっと、多くの人にとって、ベーシックすぎる知識だと思うのですが、
誤ったコース選択をしないためにも、
「セオリーベース」という言葉には気をつけたほうがよいです。本当に。